開塾当初は、
そろばん技術上達重視の
きびしい指導をしていました。
生徒に対して、もっともっと頑張れ、
なんでできないの、
そんなことやってたらダメだよ…
と注意ばかりしている先生でした。
そして、思い通りにいかない生徒をみて大きな声で叱る。
毎日、教室が終わるとどっと疲れがでてしまい、
私はなんのためにやっているんだろう。
なんてダメな先生なんだろうと自分で自分を責めました。
それは、子供に接する技法を知らず、
その場限りの対応になっていたからだと今はわかります
家庭の事情で仙台市に移住し、
教室を再塾するか...しばらく悩んでいました。
他の職に就こうとも考えましたが、
やはり私はそろばん教室をやりたいと強く想ったのは、
今の指導法に出会えたこと
そして
大事な時期に、娘に対してしてしてきた教育と子育てが
間違っていたと、後悔しているからです。
そろばん教室を福島県で開塾して、
数年間、私の指導は…特に実の娘には…
早く計算ができるように、他の子達に負けないように、
なんでできないの…
なんでやらないの…
なんでなんでの押しつける
きびしい指導でした…
そのため、娘を泣かせたことも多々…
そんな娘をみて
自分の指導力不足だと
落ち込み焦り…
もっときびしくしなければ
娘は言うことをきかない
大会も勝てないし
そろばんをやっている意味がないと
さえ思っていました
そんな娘は
泣きながらも
地元のそろばん大会ではいつも上位
そして大会直後は
大会で入賞すれば
それが自信になって
自分から進んで
そろばんを練習し上達するだろうと…
自分から進んでやることを
期待していました…
それが
たいてい期待外れ…
それでもむりむり練習させ
早く大きなケタの計算が
できるようにさせる指導を続け
きびしく
そろばん技術だけ
上達させる教室でした
そんなある日
娘に
「なんでお母さん
そろばんの先生になったの!」
「お母さんが先生になんて
ならなければ良かったのに…」
と言われたんです…
すごくショックでした…
私なりに娘を想って
娘のために
頑張っていたのに…
私は、なんのために
やってきたんだろう…
なにを目指して
やっているんだろうと
ずっと考えるようになりました
そこからです
私が全国各地に
行くようになったのは…
地元で自分流でやっていても
なにも変わらない!
全国の先生に会いに行こう!
そしてヒントをもらい
自分の教室をかえたい!と
日本各地の講習会に出席
教室見学させていただきました
全国各地の先生方から
教えていただいた教材や
指導法を検討改良を繰り返し
今の教室の形ができました
そして、一番の出会いが
勇気づけの心理学「アドラー心理学」
の出会いでした
その学びが
子供の接する技法になりました
それは
以前の教室とは
まったく違うやり方で
きびしくやらせる教室から
子供が楽しみながら
自らやる教室に
かわっていきました
そして
今の教室指導で
一番やりがいを感じていることは
計算力だけではなく
思考力や算数力も
同時に身につけることが
できるようになったこと
そろばんを使用することで
ドリルやプリントだけで
算数を教えるより
自分で操作し計算の過程がみえるので
より数感覚の理解が深まり
将来役立つ力を
身につけられることができます
計算だけで
そろばんを使っているのは
もったいない
教具として使用し
脳力の土台つくり
「算数力」を育てるツールとして
使用しています
大会出場もやめました
もっと早くに
娘にこの指導と技法を使って
そろばん指導や子育てをしていれば…
そんな後悔から
まだ私には、やるべきことがある
以前の私のように子供に接する時
子供のことを想って
日々子育てをしているのに
うまくいかず
自分を責めているママに
子育ての技法をお伝えしたい
ママが技法を学ぶ事によって
子供達もママも
幸せになってもらいたい
と新天地で
2019年2月
教室を再開塾しました
幼児の時から
この指導法で学習している息子は
算数得意大好き
理数脳に確実に育っています
そんな娘が
息子に
「いいよね~◯◯は、私は、最悪だった」
と言い、
私には
「お母さん、ほんとかわったよね
お母さんがそろばんの先生で良かった!
頑張って」と言ってくれ
応援してくれるようになりました 。
この指導と技法で
多くのママと子供達に
幸せになってもらうのが
私の生きがいです。
隠された脳力を最大限に引き出し、
一歩踏み出す勇気と自信を持ち、
成長の喜びを感じる
幸福な社会の担い手を育てる。
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